イラク人質事件のまとめ

イラク人質事件発生
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民間人3人、18歳もいる。(かわいそう)
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犯人側の要求が自衛隊撤退。(すごい直球、そんなことできっこない)
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人質家族が上京。会見・テレビ出演で撤退要求。(この家族大丈夫?)
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解放の一報。家族なお撤退要求(自作自演熱高まる)
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解放までの一週間、家族の政府責任論に対抗して自己責任論が出てくる。
家族への批判ピークを迎える。(全部政府のせいなの?)
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解放。人質がなんて言うかみんな気になる。
イラク人きらいになれない。」「撮るのが仕事。残りたい」
この発言に対し総理が批判。人質への批判もピークに。(まぁ、人質は日本でどう報道されているか知らないからなぁ)
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人質、特に高遠さんの衰弱ぶりに同情の声。自己責任論への批判高まる。
外国ではこんな風に見てますという、いつもの「日本=特殊」論始まる。
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今、現在に至る。


自己責任は常に人間が自由と引き替えに持っているもので、渡航禁止勧告を承知の上で自由意志でイラクに行った以上、自己責任が無い訳がない。
でもだからといって、政府が助けなくていいというわけではない。なぜなら国民の生命・財産を守るのが国家の仕事だから。そういうわけで、どんな人間だろうと関係なく政府は人質を助ける努力をした。
ただイラクの治安状況上、できることは限られていた。逆に満足に手を回すことができないからこそ渡航禁止勧告が出ていた。
よって政府は人質を助ける責任はあるが、人質になってしまったことに対しての責任は無いと考える。ただし、政府は人質を助けるために何でもしなくては行けないわけではない。政府は人質の命を助けることも大事だが、国民全体の命をも大事にしなければならない。よって、犯人側の要求に易々と応じるわけにはいかないし、絶対に譲れない意志を表明することも必要となる。


自己責任を持て、というのは人質に対する批判として使用されてはいるが、本来それは人質に対する罵詈雑言の一種と別個に考えるべき。
自己責任といっても、自分の意図しないうちに他者に迷惑をかけることもある。よって迷惑をかけられた方が「責任をとれ」といって自己責任という言葉を使い追及するのはちょっと酷な話。人質は犯罪に巻き込まれた訳だから(その蓋然性が高かったけれども)。
けれども自由意志でイラクに行った人質が、誰かのせいにするのは間違い。
今回の事件では人質の家族の発言(政府のせい)と人質(今のところまだ何も言っていない)の発言が一体化して(なぜ一体化して見られてしまうかというと、人質の以前からの主張と家族の主張がまったく一緒、しかも犯人とも一緒。こんなことってあるの??)捉えられていて、擁護派、批判派の議論が複雑化している。


だから「自己責任だろ」という批判はいまのところ家族に対して当てはまる。
でも家族に対する批判は結局、その家族の一員である人質本人にも堪えるのだが。
よって、自己責任論を受けて立つ側が、人質の性質(イラクの人のための尊い精神うんぬん)を自己責任論に対する反論とするといつまでたってもかみ合わない事になってしまう。
「誰かのせいにするな」と言っているのに、「危険な地域にも子供のためを思って働きに出かけています」と言っても意味がない。


なんか長くなっちゃった。読みにくいし、意味わからんかも。